和菓子とは、日本の伝統的なお菓子のこと。
そして、和菓子には、とても季節感の豊かな種類が豊富にあります。
たとえば、柏餅。あなたは、柏餅を思い浮かべると、何を思いますか?
私は、5月の青い空にひるがえる、鯉のぼりを思い出します。
このように、和菓子に季節感が豊かなのは、江戸時代・元禄のころに、茶道で使う主菓子が成立したことと関連があります。
茶道の主菓子には、必ず菓銘(かめい)という名前がありました。
そして、季節感を表す言葉が、菓銘には多くとられたからなのです。
そんな和菓子の季節をあらわす、雅な伝統にのっとって、12か月を表す和菓子をご紹介してまいります。
まずは、1月から6月にかけて、冬から夏のお菓子を見てまいりましょう。、

1月 裏千家のお許し菓子 花びら餅

花びら餅
平たく丸い白い求肥の上に、同じく平たい赤いひし形の求肥を重ねます。
そこに、甘い白みそを塗り、ゴボウの砂糖煮をはさんで半月形に折ったお菓子が、花びら餅です。
赤い色が、白い求肥からうっすらと透ける様子は、春まだ浅い花のつぼみを思わせます。
花びら餅は、宮中のお節料理に起源があります。昔の宮中の鏡餅は、たいそうきらびやかでした。
円形の白いお餅の上に、赤い菱餅と円形の白い餅を12枚重ねます。
さらに、その上に砂金の袋と伊勢エビを飾り、周囲に干し柿や柚子や橙を配したものだったのです。
公家たちは、その重ねた紅白餅をお下がりにいただきました。そして、みそ味のお雑煮として食した習慣が、花びら餅の発祥なのです。
お菓子としての記録は、17世紀後半の文化人、御西天皇の正月のお茶会の記録に初めて登場します。
当時は、「小ひしはなびら」と呼ばれました。お菓子を作ったのは、川端道喜でした。
明治時代になり、民間でも、裏千家11世が朝廷の許しを受け、お初釜の主菓子として用いるようになりました。
元祖の川端道喜では、いまでも年末の「試し餅」という形でだけ市販している、由緒のあるお餅なのです。
それが今では、花びら餅は、さまざまな和菓子屋が全国で作るようになりました。お正月には欠かせない和菓子です。

2月 うぐいす餅・椿餅(つばきもち)

うぐいす餅
うぐいす餅は、1585年、豊臣秀長が、兄・秀吉を招いた茶会のために、大和郡山(奈良県)の菊屋治平に作らせたものがはじまりです。
1585年といえば、あの本能寺の変の3年後です。当時のうぐいす餅は、小豆のあんこを餅でくるみ、一口大にまとめて、黄な粉をかけたものでした。
茶色がかったものでした。
現代のうぐいす餅は、餡を薄みどりの求肥で包み、両端を少しとがらせて、小鳥の姿を現しています。黄な粉も、青大豆で青みがかったものを使います。
1月終わりから2月初めにかけての寒中に作られる和菓子です。寒中に咲く、早咲きの梅を思い起こさせるお菓子なのですね。
椿餅(つばきもち)
椿餅は、道明寺粉(どうみょうじこ)で作った餅であんこを包み、青々した2枚の椿の葉ではさんだものです。
平安時代に最初の記録があります。
日本の和菓子は、落雁でもそうですが、中国や南蛮に由来があるものが多いのです。
しかし、椿餅は、まったく日本独自の菓子と考える人もいます。
ただし、源氏物語の椿餅には、餡が使われていません。
砂糖も貴重だったので、甘づら(つたのような植物の樹液を煮詰めて作る甘味料)で食べるのが一般的だったでしょう。
さて、椿餅に使われている道明寺粉の由来は、大変、面白いものです。
道明寺粉は、別名、道明寺糒(どうみょうじほしいい)といいます。
江戸時代には、桜餅に使われて有名になりますが、大変に歴史の古い米粉なのです。
道明寺粉は、最初は、お米の保存食、携帯食でした。今でいうレトルト米のようなものだったのです。乾燥はしていますが。
9世紀の末に、菅原道真の伯母が、左遷された道真の陰膳(かげぜん)としてそなえたご飯を民衆に分けていました。
すると、もらった民衆の病気などがすぐに治ったことから、とても喜ばれたのです。
そこで、あらかじめ、ほしいい(干したお米をつぶして食べやすくしたもの)を作り置きするようになったのが始まりだというのです。
道明寺粉は、蒸した餅米を干して粗目にひいて作ります。現在も、大阪府の道明寺で販売されている粉の袋の字は、豊臣秀吉の筆によるとのこと。

3月 桃カステラ・草餅・ひちぎり

弥生3月3日は、ひな祭り。桃の節句ですが、古来は中国からの伝統で、上巳の節句(じょうしのせっく)と呼ばれました。
健康を祈って、桃の種のお茶を飲む日だったのです。
中国では、桃は、古来から邪気を払う神聖な木であり、また、一家の繁栄を祈る気でもあります。
桃の節句にまつわるお菓子を3つ、ご紹介しましょう。
桃カステラ 
桃カステラは、江戸の鎖国時代に、南蛮と中国への唯一の貿易の窓口だった、長崎らしい、郷土菓子です。
現在の形になったのは、明治時代になってからと新しいものです。
しかし、ハート形のカステラ生地に、ピンクと白と緑のマジパンや砂糖のコーティングで桃を描いた姿は、一度見たら忘れられません。
カステラも、立派な和菓子です。
長崎では、初節句のお祝いに贈答するお菓子ですが、今は通年作られ、羽田空港の売店などでも手に入ることがあります。
草餅 
草餅は、中国から伝わった宮中行事に端を発します。上巳の節句に邪気を払うため、母子草をつぶして餅に混ぜた緑のお餅を食べた伝統で、平安初期には確立していました。
現在のように、ヨモギを使うようになったのは、江戸時代以降で、新井白石の本には、まだ母子草を使う草餅が紹介されています。
一般には、餡を草餅で包んで丸くまとめたものが多いですが、餡を入れずに、黄な粉をまぶした形もあります。
草餅は、中国伝来の行事であるとともに、万葉集にもでてくる、宮中の春の菜摘の習慣とも関係がありそうです。
古今集にとられた光孝天皇(10世紀)の「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ」は、百人一首に入っていて、皆さんもおなじみだと思います。
千切り(ひちぎり

京都で、上巳の節句に宮中で供えられた、ひちぎり餅が発祥です。
ヨモギをいれた草餅をちぎって、貝殻のような形にまとめ、その上に餡子やきんとんを丸くまとめて飾ったものです。
貝殻ということで、あこや餅とも呼ばれるのです。
上に乗せるきんとんは、ピンクと白があります。
ちょうど菱餅のように、ピンク白緑が集まった、桃の節句にふさわしい、縁起の良いお菓子です。
各菓子店により形に違いがありますから、毎年違うひちぎりに出会いに京都を訪ねたら楽しいですね。

4月 さくら餅

さくら餅は、いわずと知れた日本の国花のひとつ、桜をかたどったお餅です。
ちなみに、もう一つの国花は菊です。
桜餅には、関東風の長命寺桜もちと、関西風の道明寺餅があることは、ご存知ですね。
江戸の長命寺のほうが、歴史的には早く作られました。
長命寺桜もち
長命寺餅は、小麦粉を薄く焼いて、俵型にした、こしあんを包み、それを桜の葉の塩漬けで巻いたもの。
一方、道明寺餅は、道明寺粉(2月の椿餅参照)を蒸したもので、丸めた餡を球状にくるんだものを桜の葉の塩漬けで巻いたものです。
あなたはどちらがお好みでしょうか。それぞれの歴史やこだわりを知ると、また、楽しみが増えるのではないでしょうか。
カロリーは、長命寺のほうがやや多いといわれます(店によって差があります)。
さて、長命寺桜もちは、江戸時代、享保2年(1717年)に、向島の長命寺の門前で、元寺男の山本屋新六が考案しました。
長命寺桜もちができた年には、隅田川沿いに徳川吉宗が桜並木を作ったこともあり、大いに売れて広まりました。
元祖は、半分に折った白い餅で、お店では葉は残すほうを勧めています。
葉は、お餅の乾燥を防ぐために巻いたともいわれますが、桜の香りがして、なんとも風情のあるものです。
長命寺餅は、小麦粉を焼いたもので、こしあんを包んでいます。
元祖は二つ折りですが、俵型にくるんだものが、今では多いです。
道明寺桜餅

一方の道明寺は、水に戻して蒸した道明寺粉で餅を作り、漉し餡(こしあん)を球状にくるんだものです。
歴史は、長命寺よりは1世紀以上遅れた天保年間(1830~1844年)のころ、大阪の土佐屋が作ったものが初めです。
蒸した道明寺粉を平たく広げて、砂糖を吸わせて甘くします。それであんこを包み、桜の塩漬けの葉で巻きました。
ところが、この有名な二つの桜餅以前にも、何種類もの桜餅は各地にあったのです。
京都の桔梗屋が17世紀後半に作ったものが、少なくとも記録に残っています。
桔梗屋の桜餅は、餅を桜の葉の塩漬けで巻いたシンプルなもので、葉と餅という組み合わせは、椿餅に始まる、日本の和菓子の伝統です。

5月 ちまき・柏餅(かしわもち)

粽(ちまき)や柏餅を5月5日の端午の節句に食べる習慣は、江戸時代に確立しました。
主に関東では柏餅を、関西ではちまきを食べました。
今は、子どもの日の祝日で、男女ともに祝いますが、江戸時代には、男の子の無事な成長を祈るお祭りでした。
しかし、端午の節句は奈良時代から平安の貴族社会では、ユニセックスな祭りでした。
厄を払うために、薬草を丸めて飾りをつけた、くす玉を贈り合う日だったのです。
また、庶民の世界では、5月の田植えの前に、女性たちが身を清め休む日でした。
ところが、鎌倉時代から武士が台頭するにつれて、ショウブの葉が剣の形で、音も勝負に通じることから、男子のための祭りとされました。
中国では、もともと、端午の節句は、女性の健康を祈る日でした。
時代と文化によって、このように移り変わるお祭りも珍しいですね。
ちまき
ちまきは、笹の葉でくず餅や、団子の種をまいて蒸したお菓子です。
餡の入るものも、入らないものもあります。
ちまきの由来は、中国の屈原という人の伝説に由来します。
災いをさけるために、米粉を笹で包んで蒸したのが、ちまきです。
中国では肉入りの塩味の食物です。
しかし、羊羹同様、日本に伝来して、甘いお菓子に変わりました。
東南アジアにも、甘い粽は多いです。
柏餅

あんこを団子の皮や餅で包み、柏の葉でくるんで蒸したお菓子です。
蒸した餅を、青い柏の葉で包むこともあります。
なお、柏餅の柏の木は、神聖な木といわれます。
なぜならば、若葉が育つまで古い葉が落ちないため、お家が絶えることなく続くことを一番に願った、武士階級がとても喜んだからです。
柏の葉の代わりに、サルトリイバラの葉を使うこともあります。
関西の農村では、イバラ餅は、田植えの時のおやつの野上りもち(のあがりもち)としても食されています。
現在では、こしあん、粒あん、味噌あんの三種類が知られています。

6月 水無月・みたらし団子

6月30日は、1年の半分が終わる日です。
昔から夏を無事に過ごせるよう、みそぎをする日でした。
これを夏越の祓(なごしのはらえ)といいます。
紙で身体の弱いところをさすり、厄を移して、川や神社の池に流すのです。
これを形代といいます。
薬も大してなかった昔の人々は、真剣に、夏越の祓を行ったのでした。
さて、この日に食べられるお菓子に、みたらし団子と水無月(みなづき・6月の古い名前)があります。
みたらし団子
みたらし団子には、季節はないと思っておられませんでしたか。
たしかに、現代では年中売られて、人気の和菓子です。
しかし、歴史的には、京都の下加茂神社の御手洗祭(みたらしさい)と夏越の祓にお供えした団子だったので、夏のお菓子なのです。
これを知っているあなたは、かなりの和菓子通です。
団子自体は、縄文時代からあります。
そして、みたらし団子は、後醍醐天皇が、14世紀に下加茂神社の池で、手を洗われたときに大きな泡ができたのをかたどったといわれています。
最初は、醤油のたれをつけて焼いた団子でした。
甘みは、高価で貴重だったからです。
甘辛い味は、なんと、大正時代に入ってから考案されたのです。
本当に、砂糖は貴重だったのですね。
水無月

特に京都を中心とする、関西地方で、6月の晦日(みそかび・最終日)に食べる伝統があります。
夏越の祓のお菓子ですね。ういろうに小豆を乗せて蒸した、涼しげな、三角形です。
これは、宮中の暑気払いの氷をかたどったもの。
庶民には、氷は高根の花ですから、半透明のういろうで、氷の気分だけを味わったのでしょう。
ういろうは、米粉などのでんぷん粉を湯で練り、蒸して作った、やわらかい蒸し羊羹のようなものです。
ちなみに、江戸の後期に寒天を使う工夫が考案されるまで、練り羊羹はなかったのです。
栄養学的にも、小豆にはビタミンB群が多く含まれ、夏バテ予防になりますし、米粉のお菓子でカロリーをとることも、小食の時代には、健康に良かったはずです。

夏から冬の和菓子7月から12月も、トリビアいっぱいでお伝えしていきます。ぜひ、ご覧になってください。