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和菓子の生菓子とは

和菓子でいう生菓子は、水分量の多い日持ちのしない菓子を指しています。練り切りなどはその代表ともいえますが、どら焼きやきんつば、月餅のような焼きもの、おはぎや草餅、道明寺のような餅もの、じょうよ饅頭やういろう、ゆべしのような蒸しもの、練り切りや求肥、雲平のような練りものなども、生菓子の種類に入ります。また、和菓子には朝生菓子と言われるものがあります。その日の朝に製造して、その日のうちに食べ切るという和菓子になります。古き時代には、朝生菓子がその和菓子店の看板商品であると考えられていました。身近な大福やお団子も朝生菓子の種類になります。特に餅菓子は、時間の経過で固くなるのを避けられません。和菓子を美味しいうちにいただく、それが朝生菓子の考え方です。価格的にも比較的安価で、庶民的な生菓子が朝生菓子になります。朝生菓子に対し、練り切りなどを上生菓子と呼んでいます。

和菓子の上生菓子と菓子名

和菓子の中で、最も高級とされる上生菓子。茶道では主菓子と呼ばれています。餡を作る際に、よく練ることから「練り切り」と名前がついたと言います。白餡に砂糖を加えて加熱しながら練り、繋ぎを入れて造形していきます。菓子職人の技法により、四季の彩りなどを表現する美しい和菓子です。そんな和菓子の1つ1つに雅な名前が付けられています。五感で味わう和菓子には、「源氏物語」や「古今和歌集」などから、菓子名が考え出されたと言います。江戸時代の元禄には、尾形光琳(江戸時代の画家・代表作:燕子花図屏風、風神雷神図屏風など)を中心とする文化サロンが作られ、王朝趣味がもてはやされました。和菓子の絵を描いた冊子も登場したと言います。そのように和菓子には、文芸を意識した菓子名がついていました。和菓子の有名老舗店『虎屋』には、元禄8年の和菓子カタログが未だ残っているそうです。そのカタログを見て、お得意様に和菓子を選んでもらっていたようですね。その中には、今も作られている和菓子があると言います。和菓子は長い歴史の中でも、変わらずに受け継がれていく、日本の伝統芸術ではないでしょうか。

和菓子店『虎屋』の生菓子と菓子名

和菓子店『虎屋』は、室町時代の後期に京都で創業を開始しました。御所の御用を勤め、明治2年には天皇にお供をして、東京に出店したそうです。『虎屋』は全国各地や海外にも直営店、販売店を持つ歴史ある和菓子店です。『虎屋』を代表する和菓子として羊羹があります。『虎屋』の元禄7年の古書に、羊羹の菓子名を「夜の梅」と記されており、現在も尚『虎屋』の「夜の梅」は健在です。そのように、現在も代々受け継がれている菓子名が『虎屋』にはあります。大正7年からの生菓子「千歳餅」や、正徳元年からの生菓子「霜紅梅」もそうです。その他にも「曙」「寒紅梅」「一重梅」「雪の子草」「花衣」「雪の下萌」など風情ある菓子名が今でも使われ続けています。その多くが、古典文学や和歌などから菓子名が考えられているようです。菓子名を聴くだけでも、季節の情景が感じとられます。『虎屋』には、和菓子の製法が記された「御菓子之書図」も残っているそうです。『虎屋』の和菓子はこうして伝承され続けています。