古典落語の中には、和菓子が登場する演目がいくつかあります。
江戸時代より庶民に親しまれてきた和菓子のある風景として、和菓子を題材にした落語の演目を御紹介します。

饅頭怖い

和菓子が登場する落語と聞いて真っ先に思い出すのが「饅頭怖い」です。
暇を持て余していた若者が数名集まり、それぞれ嫌いなもの、怖いものを言い合います。皆で「蜘蛛が怖い」「蛇が怖い」「蟻が怖い」などと言い合っていると、「いい若い者がくだらないものを怖がるとは情けない、世の中に怖いものなぞあるものか」とその中の一人の男がうそぶきます。「本当に怖いものは無いのか」と他の男たちが問いただしても「ないものはない」と答えます。しかし、何度も問うているうちにしぶしぶ「本当はある」と白状します。何が怖いのかと聞くと男は「饅頭」と答えました。そして「饅頭の話をしているだけで気分が悪くなった」と言い出し、男は隣の部屋で寝てしまいます。すると他の男たちは「あいつは気に食わないから饅頭攻めにして脅してやろう」と金を出し合い、様々な種類の饅頭をたくさん買ってきて隣の部屋に投げ込みます。目覚めた男はひどく怖がりながら「ああ怖い。怖いから食べて無くしてしまおう」などと言って饅頭をむしゃむしゃたいらげ、とうとう全部食べてしまいます。こっそりと覗き見をしていた他の男たちは、どうも様子がおかしいと感じ、男に一杯食わされたことに気付きます。怒った男たちが「お前が本当に怖いものは何だ?」と聞くと、今度は「濃いお茶が一番怖い」と答えます。
怖いと言っていた饅頭が実は好物な男と、そんな男に翻弄され饅頭を買いに走ったり怒ったりする若者たちの様子に思わず笑ってしまう有名な古典落語です。饅頭が当時の若者たちにとって身近な菓子であったことがわかります。

幾代餅

金はなくても人柄の良い米屋の清蔵は、幾代太夫(いくよだゆう)と呼ばれる吉原の遊女と恋仲になりますが、太夫は吉原のトップクラスの階級にあり、お金のない清蔵は幾代太夫を落籍させることができません。一年間、稼いだらまた来ると清蔵は幾代太夫に打ち明けますが、誠実な清蔵に惚れた幾代太夫は、来年三月で年季が明けたら貴方の所へ行くから女房にして欲しいと支度金を預けます。年季が明けるまで立派に務めを果たした幾代太夫は清蔵と夫婦になり、二人は餅屋を開くことになりました。そこで売ったのが幾代餅です。焼いた餅に餡をまぶしたあんころ餅のような幾代餅は、元吉原の太夫であった美しい女房がいる店とあって大評判となり、店は繁盛、子宝にも恵まれ、二人は末長く幸せに暮らしましたという物語です。
幾代餅は実在した餅で、江戸時代の両国の名物でした。元は切見世の女郎幾代を男が身請けして、夫婦で一個五文の餡餅を両国の野菜の市場で売りましたが、やがて両国広小路に店を構えて、幾代餅を売り始めたそうです。この餅は夫婦が亡くなった後も代々に渡って売り続けられ、両国の名物となりましたが、あんころ餅という簡単な商品だったために類似品が次々登場し、餅屋同士の争いに発展する中、次第に売れなくなってしまったそうです。

孝行糖

おつむは少し弱いものの、たいそう親孝行な若者がおりました。親を大切にしているということで奉行所から表彰を受け、褒美として青ざし五貫文を頂戴します。長屋の大家や住人は、このお金を元手に若者に何か商売をさせてはどうかと皆で相談し、昔、役者の嵐璃寛と中村芝翫の人気を当て込み璃寛糖と芝翫糖という飴を売って流行ったことを真似て、飴を売らせてみようとなりました。早速、飴の名を「孝行糖」と名付け、町内の連中が着物や頭巾や鉦(かね)や太鼓などを揃え、売り言葉やお囃しも若者に丸暗記させて、いざ孝行糖を売り歩くことになりました。「孝行糖、孝行糖。孝行糖の本来は、うるの小米に寒晒し。カヤにぎんなん。ニッキに丁子。チャンチキチ、スケテンテン。昔々唐土の二十四孝のその中で、老菜子といえる人、親を大事にしようとて、こしらえあげたる孝行糖。食べてみな、おいしいよ、また売れたったらうれしいね。テンテレツク、スッテンテン」と派手に陽気に売り回ると、この飴を子どもに食べさせると親孝行になるとの噂まで立ち大評判となります。若者も張り合いが出て、毎日欠かさず飴売りに出ますが、ある日、水戸様の屋敷の前を通りかかり、いつものように鉦と太鼓を鳴らし始めると、立っていた門番が、武家の屋敷の前なので静かにしろと注意をします、しかし少しおつむの弱い若者はお構いなしに鉦を鳴らして声を張り上げ続けます。怒った門番は若者を六尺棒で打ち据えますが、そこを若者の顔を知る人が通りかかり、門番に謝って若者を逃がしてくれます。痛がる若者に、どこをぶたれたのかと通行人が聞くと、若者は体を指差しながら「ここぉとー(孝行糖)ここぉとー(孝行糖)」と答えました。
幕末の政商である藤岡屋由蔵の「藤岡屋日記」には、弘化三年の二月の頃、藍鼠色の霜降りに竹の子を描いた半纏を着て孝行糖を売り歩いていた人物がいたという記述があり、唄も全く同じものです。固形の飴が出回ったのは江戸時代のことで、派手な太鼓を聴きつけて流行の飴を買いに集まってくる江戸の町の人々が目に浮かぶようです。

和菓子が登場する古典落語を聞いていると、和菓子の文化も庶民によって育まれてきたことがよくわかります。

古典落語の時代から愛されてきた和菓子の数々を、登場人物たちに思いを馳せながら頂いてみるのも粋なものかもしれません。