和菓子の練り物は、工程に、練る作業を入れるものです。
求肥(ぎゅうひ)、すあま、州浜(すはま)、練り切り、こなし、雪平(ぜっぺい)、練り羊羹(ねりようかん)、水羊羹(みずようかん)などがあります。

今回は、それぞれについて、あらためて説明してまいります。

求肥について

求肥は、白玉粉などの餅米から作った餅粉に、砂糖と水飴を加えて練ったものです。
糖分が入ることで、保水力が高まり、普通の餅のように固くなることがありません。
餅粉:砂糖;水飴=1:2:1の割合で作ることが多いのです。
砂糖を入れるタイミングや、加熱の仕方によって、次の3通りの練り方があります。
・水練り…粉に水分を入れて練り、砂糖と水飴を加えて加熱しながらさらに練るもの。
・茹で練り…粉を水で練った後に茹で、さらに砂糖と水飴を加えて練るもの。
・蒸し練り…粉を水で練った後に蒸して、そこへ砂糖と水飴を加えて練るもの。
水練りより日持ちがします。

求肥は、餡を包んだり(うぐいす餅など)、カステラの皮で包んだり(調布や若鮎)、または羽二重餅のように片栗粉をまぶして、そのまま食べたりします。
硬めに作って、求肥飴にすることもあります。
滑らかな口当たりが求肥の特徴であり、魅力でもあります。

すあま

すあまは、うるち米である、上新粉で作る点が、求肥との大きな違いです。
作り方としては、上新粉を湯でこねてから、蒸し、砂糖を加えて練って作ります。
砂糖を加えて、つくという表現をすることもあるくらい、しっかりと練ります。
簡単に作る場合は、蒸す代わりに電子レンジを使います。
片栗粉をまぶして、巻きすでつぶした楕円形の切り口になるように仕上げたり、つ
るの子といって、丸い楕円形のつるがうずくまったような形に仕上げます。
色は、食紅で薄いピンクにする場合が多いですが、黄色や緑にすることもあります。

すあまは、主に埼玉県で、祝儀の引菓子に使うことが多いですし、関東地方では親しみのある和菓子です。
逆に、関西地方では知られていない、和菓子といえます。

州浜

大豆や青豆を煎ってひいた州浜粉を、砂糖と水飴を加えて練り上げて作ります。
2016年に閉店した、室町時代からの京都の老舗、植村義次の州浜が、州浜文様の形をしていたことから、州浜という名前がつきました。
他には、中に餡子を入れたもの、小さく丸めて串に通した州浜団子などの形があります。

練り切り

並物と上物があります。
並物では、てぼう豆の白あんに、長芋をつなぎとして練りこんで作ります。
上物は、白小豆や白ササゲ豆または白いんげん豆で作った白あんに、海老芋かヤマトイモとゆり根を加えて作ります。
これらを練りきり餡といい、色を工夫して、きんとんや「ねりきり」に成形します。
上生菓子の材料です。
また、別の分類では、
白あんを求肥で練ったものを並物、山芋を蒸して裏ごししたものに砂糖を加えて練ったものを薯蕷練り切りとします。
並物は細工もの(きんとんなど)に使われますが、薯蕷練りきりは、そのまま「ねりきり」になったり、細工物のつなぎに使われます。

こなし

関西で、上生菓子を作るのに使う製法。
練りきりよりも、さらに手の込んだ作業手順があります。
蒸した白あんに、小麦粉や薯蕷粉を加えて練り、さらに砂糖や水飴を加えて硬さを調製して蒸してねったもの。
本当に高級な上生菓子を作る時に使います。
くちあたりが非常に良いのです。

雪平(せっぺい)

白玉粉に水を加えて蒸し、砂糖を加えて練ります。
そこへ、白あんと泡立てた卵白(メレンゲ)を加えて混ぜます。
平とは餅のことで、雪のように白い餅という意味です。
ふわっとした雪のような柔らかな生地を、上菓子に作ります。

練り羊羹

羊羹は、もともと鎌倉時代から室町時代に、禅僧が日本に伝えました。
中国では、文字通り、羊の肉を使ったスープ
や煮物であったのです。
しかし、日本では肉食を嫌悪していたため、植物性の材料で、羊羹のような形状の食品を考案しました。
江戸時代に、寒天を使った練り羊羹が考案されるまでは、羊羹といえば、蒸し羊羹でした。
室町時代や、戦国時代、江戸時代初期に食べられていた羊羹は、時代が下るにつれて甘みが増したものになっていきました。
さて、練り羊羹が考案された歴史について見ていきたいと思います。
茶道の発達した、元禄時代には、まだ蒸し羊羹だったと考えられます。
寒天が発明されました。
1657年ごろ、京都の伏見の本陣(大名を泊める旅館)の美濃屋太郎左衛門が、凍ったところてんを再度火にかけたところ、ところてんよりも海臭くない、上質のところてんになりました。
そこで、ところてんの干物を作ることで、色も白くなり、臭みも抜けることが発見されたのです。
帰化僧の、隠元禅師にも相談し、精進料理に寒天が使われるようになりました。
最初は、北大阪で製造組合ができ、その後、丹波で生産されていた寒天は、現在の長野県の諏訪湖地方で、農閑期の作業として作られるようになりました。
1830年に寛政年間(1789年から18001年)、つまり、18世紀末から19世紀初頭にかけて、練り羊羹は考案されたようです。
1830年に序が書かれた、『嬉遊笑覧』には、寛政のころ、江戸の菓子屋、紅谷志津摩が、練り羊羹を考案したとあります。
一説には、寛政の初めに喜太郎という人が作った喜太郎羊羹が元祖だとあり、喜太郎は紅谷の主人だったかもしれません。
基本の作り方は、砂糖と寒天を水とともに火にかけます。
砂糖が溶けたら、こしあんを入れます。
煮立ってきたら、火を弱めて、しゃもじで練り続けます。
木べらで餡を練って、なべ底から戻したときに、ゆっくり戻るくらいまで練ったら、火を泊めます。
水で濡らした型に入れて冷やします。
型から抜いて、細長く切ります(羊羹は、一竿、二竿と数えます)。

水分が多ければ、水ようかんになります。

練り物は和菓子の中核

このように、和菓子において練り物は、その主要な製法の一つです。
練りきりや求肥がなければ、作ることのできる和菓子は限られます。
また、練り羊羹は、それ独自で不動の地位を占めています。
和菓子を語るうえで、忘れることができないのが、練り物だといえましょう。