身近な和菓子の発祥を探る【おはぎ】

普段、何気なく食べている和菓子にも、それぞれ発祥の由来があります。そんな和菓子たちの由来をご紹介していきます。

「おはぎ」は小豆の小さな粒が、萩の花が咲いている様子に似ていることから、当初は「萩の餅」や「萩の花」と呼ばれていました。それが、宮中に仕えていた女官の間で、「お」を付ける上品な言葉で表現されるようになり、「おはぎ」となったそうです。江戸時代には、餅をつく音がしないのに「おはぎ」が出来上がったことから、「隣知らず」と呼ばれていた頃もありました。よく「おはぎ」と「ぼたもち」は違うもの、と思っている方も多いでしょう。しかし、「おはぎ」も「ぼたもち」も実は同じものになります。秋に作るものを「おはぎ」、春に作るものを「ぼたもち」と、便宜上季節の花で呼んでいるだけです。「おはぎ」は秋分の日と春分の日に、先祖供養にお供えされる和菓子ですが、なぜその日にお供えするかご存知でしょうか。昼と夜の時間がほぼ同じなのが、秋分の日と春分の日になります。仏教の教えに、西方浄土と言って、十億万仏土先の西方に阿弥陀如来がいると言われています。それに対してこの世は東になります。秋分の日と春分の日はあの世に一番近い日と考えられ、遠く思いをはせたのが起源と言います。そのような理由から、先祖を供養するために和菓子の「おはぎ」を供えたそうです。「おはぎ」の発祥には深い意味があったのですね。

身近な和菓子の発祥を探る【団子】

誰もが口にしたことのあるのが「団子」です。最も身近な和菓子ではないでしょうか。様々な種類があるので、甘味が苦手な方でも食べることが可能ですね。そんな「団子」の発祥は、縄文時代に木の実をすり潰して、丸めて食べていたことが始まりと言われています。遣唐使が中国から持ち帰った、唐菓子の「団喜」から転じたとも言われていますが、定かではありません。室町時代には、「団子」を「だんご」と読むようになり、串に刺したものが登場しました。静岡県宇津ノ谷峠の人食い鬼の逸話で有名な「十団子」や、京都の「みたらし団子」もこの頃発祥したと言われます。余談になりますが、みたらし団子というと、京都の下鴨神社が行う『御手洗祭』が発祥とされ、御手洗団子が「みたらし団子」になったと言われています。さらに江戸時代には街道沿いに団子屋が作られて、全国でも食べられるようになりました。そして現在は、団子は身近な和菓子として愛されています。

身近な和菓子の発祥を探る【きんつば】

餡好きにはたまらない「きんつば」。「きんつば」は、元々は大阪が発祥と言います。「きんつば」は刀の鍔(つば)を象ったもので、当初は丸い形をしていました。大阪では米の粉をまぶして焼いていましたが、焼き色が付きにくいことから「銀鍔」と呼んでいました。一方、江戸では小麦粉を溶いてまぶして焼いたため、少々焦げ色(金鍔)が付きました。銀より金の方が上だろうと、「きんつば」と呼ばれるようになりました。それが和菓子「きんつば」の発祥です。現在のような四角い「きんつば」は、神戸の和菓子店『本高砂屋』の創業者である杉田太吉氏が考案しました。今ではすっかり四角い「きんつば」がお馴染みになりました。