団子というのは、非常に素朴なものです。
粉状のものを丸めて食べれば団子ということになるからですね。
日本の団子の起源といわれるものが、ひとつではないことをよく理解しておいていただきたいと思います。

団子の起源!3つの説

日本の団子の起源としては、3つの流れがあります。

ひとつは、縄文時代からの、どんぐりやクヌギなどの堅果類を粉にして水で溶き、ゆでて団子にして食べたようなものです。
堅果類だけではありません。
里芋や山芋などをつなぎとして使って、団子にしていたという考え方もあります。

さて、弥生時代に米が入ってきても、米の生産量は、現代とは比較にならないほど少なかったのです。
米を炊いて食べることは少なかったでしょう。
米は、雑穀などと混ぜて、粥や団子にして食べたと思われるのです。

このように、さまざまな粉を食べる食事のひとつとして、自然発生的に団子ができたという考え方があるのです。

もうひとつは、古代から(弥生時代以降)、神様にお供えした「しとぎ」というものが起源だという説です。
「しとぎ」とは、米を水に浸して柔らかくしたものを、つぶして粉にします。
それを固め、餅のようにして、神前に供えたものが「しとぎ」です。
宮島の養父崎浦神社には、まだ、神前にしとぎ団子を供え、カラスに食べさせて吉凶をうらなう神事が残っています。
古代からの米粉が「しとぎ」であり、それで作った団子が「しとぎ団子」だったのです。

3つ目の説は、中国から奈良時代に、唐菓子(からがし)のひとつとして伝来したというものです。
団喜という菓子がそれにあたりますが、こちらは米ではなく、小麦の団子です。
日本書紀の610年の記述に、高麗の僧・曇徴が、石臼をもたらして、小麦粉を引いて団子を作ったといわれています。
そのため、日本の神々には米粉で作ったしとぎや餅を供えますが、外国の神である仏には、小麦粉の団子を供えるという分類があったというのです。
しかし、唐菓子の団喜は、小麦粉を水で溶いて、あげたものであったので、感覚的には日本の団子の祖先としては受け入れがたいものがありますね。

みたらし団子の歴史

さて、日本人の大好きな和菓子のアンケートをとると、常に上位に入ってくる、みたらし団子はご存知ですね。
みたらし団子は、御手洗団子とも書きます。
実は、下鴨神社の夏の神事である、御手洗祭が起源なのです。
したがって、みたらし団子は、正式には夏のお菓子なのです。
俳句の季語でも、夏となっています。
これを知っていれば、本当の和菓子通ですね。
ヤフーの知恵袋でも、正しくないベストアンサーが選ばれていますから、気をつけてください。
さて、皆さんは、6月30日に行われる、夏越の祓という行事を知っておられますか。
五体を形代の紙でぬぐって、厄を移し、おはらいをしてもらって、形代を流す儀式です。
夏越の祓と関連がある和菓子は、水無月(みなづき)ですね。

それによく似ているのが、下鴨神社の御手洗祭です。
毎年、土用の丑の日の前後に、下鴨神社の御手洗池で、早朝から夜の10時まで、足をつけて洗うと、五体の厄が払われて、健康に過ごせるというものです。
遠く、鎌倉時代にさかのぼる伝承があります。
後醍醐天皇が御手洗池で手を洗われると、大きな泡ができました。
最初にひとつ、そして4つの泡が浮かび、合計で5つの泡を人間の五体にたとえたのです。
そこで、米粉で団子をつくり、串に刺したのですが、ひとつは頭として、他の4つとは少し話して刺すのが元祖なのです。
なにしろ、後醍醐天皇の時代ですから、13世紀の末から14世紀の初めにかけての出来事です。
また、別の起源としては、氏子の家庭で、竹を10本に割り、それぞれに5個の団子を刺したものを作って、御手洗祭にお供えしたのが起源という説です。
後醍醐天皇の故事と、どう関係があるのか、資料がありません。
いずれにせよ、江戸時代には、下鴨神社の門前のみたらし団子は有名でした。
しかし、現在のような甘辛味になったのは、第二次世界大戦後です。
それまでは、醤油をつけて焼いた醤油団子でした。
いかに砂糖が高価なものであったかが、わかるというものですね。
関西では団子は5つが多く、関東では4つが多いのですが、その歴史についても見ていきましょう。
ちなみに、5つの団子を五つざし、4つのものを4つ刺しというのが正式です。

関東の団子!4つざしなのはなぜ?

さて、時代は江戸時代まで下ります。
最初は、関東(江戸)でも、団子は5個だったのです。
ところが、18世紀の明和5年(1768年)に4文で1枚になる、四当銭というものが発行されました。
そこで、一文につき団子1個と考えて、4つざしにしたほうが分かりやすいということになったのです。
実はこの頃、この四当銭を使った、四文屋という江戸時代の百均にあたるお店も、文化8年(1810年)ころには、江戸にできたそうです。
江戸では団子は4つざしになりましたが、上方(関西)では、四当銭は使ったものの、団子は相変わらず5つざしであったのです。

3つざしの花見団子の由来

さて、お花見団子というのがありますね。
いちばん上がピンクで、次が緑、下が白の3色のお団子です。
こちらの由来は、少し時代を江戸からさかのぼり、安土桃山時代の太閤豊臣秀吉にさかのぼります。
秀吉といえば、千利休を師として、茶道政治を行ったことで有名ですね。
うぐいす餅を名づけたのも秀吉ですが、花見団子を名づけたのも、また、秀吉なのです。

秀吉が催した有名な茶会はいくつかありますが、そのひとつに、醍醐の茶会があります。
この時に出された、お花見の3色の団子が、秀吉の心にとてもかなったそうです。
そして、これを花見団子と名付けたのです。
ピンクは桜で春をあらわし、緑は夏を、白または茶色は冬を表しますが、あきないように、秋は抜かされたとの逸話があります。
みたらし団子の季語は夏ですが、当然、花見団子の季語は春となります。

今回は、団子の歴史と、みたらし団子、そして、花見団子をご紹介しました。
日本の文化と和菓子の深いつながりについて、ますます考察を深めてください。