茶道で使われる和菓子の移り変わり

千利休によって確立されたと言われる茶の湯も、当初は質素な菓子だったと言います。室町時代になって、中国から砂糖が輸入されるようになりました。また、南蛮貿易によりカステラや金平糖、ボーロといった甘い菓子か日本に入ってきました。しかし利休の唱えた侘茶は、質素な中から見出される美意識のようなものでしたので、贅沢な菓子は使用しません。利休が菓子として使用したのは、ふの焼と言って、小麦粉を水で溶いて薄く焼いた物や、昆布や栗などです。江戸時代になり、羊羹や水菓子が作られるようになりましたが、まだまだ砂糖は貴重品でした。和三盆が誕生して、さとうきびの栽培が始まったのもこの頃です。明治になり和菓子店も増えてきました。茶会で使用する菓子は、現代の様に和菓子店から購入するスタイルではありませんでした。亭主(客を迎える側)が五味五感を意識して手作りしていました。暑い時期には冷たい物を、寒い時期には温かい物をと、客へのおもてなしの心を大切にしています。

茶道の和菓子は主菓子と干菓子

茶道の正式な茶会では、「主菓子(おもがし)」と「干菓子(ひがし)」の2種類の和菓子が使用されます。主菓子は濃茶に、干菓子は薄茶にと、決まりのようなものがあります。一般的に主菓子というと、練切りをイメージしますが、饅頭や羊羹、餅菓子なども主菓子に属します。一方、干菓子は落雁やゼリー菓子、金平糖や煎餅などが含まれます。主菓子も干菓子も季節感を意識して作られています。茶会では四季を取り入れながら、侘び寂びを意識して道具を誂えます。華やかな道具ばかりを使わずに、素朴な物を取り入れることで互いに引き立て合います。和菓子も茶碗や菓子器とのバランスを考えながら、組み合わせを選んでいきます。亭主は見た目でも客に楽しんでもらう工夫をしていることになりますね。

なぜ茶道で和菓子が使われるのか

和菓子はバターなどの油を使用していません。油は時間の経過で酸化し、菓子の風味が変わってしまう恐れがあるからです。また、高価な茶道具を使うことも多いため、油が道具に移ることを嫌います。菓子は抹茶を頂く前に各々懐紙に取ることになるので、懐紙に油が染みてベタベタするのを回避するためもあります。バターや洋酒などの強い香りがないのも和菓子の利点です。主菓子は黒文字(楊枝)などを使い頂きますが、干菓子は軽めの菓子が多く、1口で食べられるものが好まれます。何より和菓子は抹茶との相性が良く、お茶の味を引き立ててくれるからです。自然などをモチーフに四季の移り変わりを演出してくれる和菓子は、茶道とは切り離せない存在です。

茶道の和菓子には名前がある

和菓子にはそれぞれ名前が付いています。茶会の中でも、客が亭主に菓子名を尋ねる場面があります。和菓子は大抵四季に合わせたものを作っているため、季節感がある名前が付いています。勿論そのままの名前を使っても構いませんが、茶道具との取り合わせが良いような名前を亭主が付けても大丈夫です。余談になりますが、茶道には流派というものがあります。特に千利休の孫である千宗旦の子供達が作った「表千家」「裏千家」「武者小路千家」は有名です。それぞれお家元のお好み和菓子というものがあり、裏千家は花びら餅、表千家は常盤饅頭、武者小路千家は都の春になります。どの和菓子も、初釜(新年の茶会)には必ず用いられる伝統的な和菓子になります。そんなことからも、和菓子と茶道は密接な関係にあります。