和菓子といえば、お茶。
お茶といえば、茶道ですね。
茶道でも、主菓子(おもがし)の中で、普段のお茶に、一番使われるのがお饅頭(まんじゅう)です。
今回は、そんな和菓子のかしら(頭)ともいえる、お饅頭についてお伝えします。
その一方で、まんじゅうは、お番茶とともにお茶請けにも使われます。
まずは、そんな日本のお饅頭の歴史を見てまいりましょう。

饅頭の歴史

饅頭のルーツは中国にあります。
饅頭の起源となる伝説は、中国三国朝時代(3世紀)にさかのぼります。
そのころ、人間の首49個が、川に投げ入れられる習慣がありました。
川の氾濫をとめる人身御供(ひとみごくう)、いけにえだったのです。
諸葛孔明は、この習慣に心を痛ました。
そして、小麦粉を練って丸めて人間の頭に似せた、まんじゅうを投げ込んだのです。
羊や豚の肉で作った餡としました。

このように、中国での饅頭(マントウ)は、塩味の食事の形から始まったのです。
中国の北部では米がとれず、小麦を主食としたので、マントウは主食でした。
日本に伝わった、饅頭は、華南の点心(軽食)としてのマントウです。
いずれも、中身の餡(あん)に、羊や豚の肉が使ってあることが特徴的です。

日本へのマントウの伝来は、仏教の新しい宗派、禅宗の伝来と関係があります。
肉食をしなかった日本では、肉入りの餡の代わりに、小豆や野菜を使いました。
日本のお寺でも、軽食として、小豆餡入りの饅頭と、野菜餡入りの饅頭を食べるようになったのです。

鎌倉時代〜室町時代前期 中国の饅頭の伝来

饅頭の伝来については、2つの流れの説があります。

ひとつは、13世紀の聖一国師(円爾)が、宋から帰国された際に、点心のひとつとして伝えたというもの。
ちなみに、聖一国師は、臨済宗の東福寺を開いた方です。
ただし、この饅頭は、小麦粉を丸めて蒸したもので、餡が入っていなかったという見方もあります。

もうひとつの流れは、14世紀です。
やはり臨済宗の僧、徳見が連れてきた林浄因が、饅頭を伝えたというものです。
林が、奈良の漢国神社(かんごうじんじゃ)の前で開いた饅頭の店が、現在の塩瀬饅頭(しおせまんじゅう)の元祖です。
林の伝えた饅頭は、明の宮廷料理につながるものです。
そこで、林は饅頭を漢字の字体の真行草(しんぎょうそう)にたとえると、饅頭は真の字体である、と子孫に伝えました。
真の字体とは、一番、かしこまっている、崩していない字体のこと。
つまり、饅頭は、そもそもから、お菓子のかしら(頭)だったのです。

近世になって、砂糖の国内での流通量が増え、17世紀末の元禄のころには、お茶席の高級主菓子として、米粉を使った、薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)が定着しました。
薯蕷饅頭は、上用饅頭とも書き、さまざまある、すべての日本の饅頭の中で、一番格式の高いものです。

さて、高級な薯蕷饅頭のほかにも、饅頭に似たお菓子が、日本にはありました。
それが、「十字」と呼ばれるものです。

十字という蒸餅(むしもち)

鎌倉時代に、小麦粉を水で溶いたものを蒸したものを、十字の餅と呼んでいました。
蒸したときに、割れないよう、上に十字の切り目を入れたからです。
高級なお饅頭のてっぺんに、赤いしるしがついていたりしますね。
あれは、この十字の名残だとも考えられています。

源頼朝が、頼家が狩りでシカを射た祝いに、家臣たちに配った記録があります。
まるで、ホールインワン賞のお菓子のようです。
この十字という菓子は、携行食でもあり、身延山の日蓮上人へのお供え物のリストにものっています。
携帯食として、固くなったものを、また蒸しなおして食したと考えられます。
この十字は、餡が入っていなかったと考えられ、江戸時代でも、まだみられます。

室町時代の砂糖饅頭・菜饅頭

このように、高級な注文品の塩瀬の薯蕷饅頭だけが、饅頭の先祖ではなかったようです。
室町時代の『七十一番職人合わせ』という書物があります。
そこには、砂糖饅頭や菜饅頭を行商して歩く、職人の姿が描かれています。
僧侶の姿をして売っているので、点心が発達したものと考えられます。
菜饅頭とは、野菜を細かく切って煮たものを、餡として使った饅頭です。
砂糖饅頭は、貴重品だった砂糖を使っていますが、小豆までは入っていません。
これらの饅頭は、小麦粉を使ったものでした。

近現代の饅頭

その後、19世紀の文化文政のころには、日本全国津々浦々に、さまざまな名物饅頭が見られるようになったのです。
それでも、日本で甘いお菓子が特別のぜいたく品ではなくなったのは、第二次世界大戦後(1945年終結)なのですね。
現在、饅頭の種類は、飛躍的に増えました。
チョコレート饅頭や、バナナ饅頭。
蒸さずに焼く、焼きまんじゅう、カステラ饅頭にパイ饅頭など。
丸くてあんこが入っていれば饅頭で、もう、百花繚乱のありさまです。

さて、饅頭が、日本に伝来した事情について、もう少し、丁寧にご紹介してまいります。
先ほど述べたように、現在、饅頭の伝来として語られる歴史には、二つの流れがあります。
それぞれをご紹介しましょう。

聖一国師の博多酒饅頭

1241年、臨済宗の僧、聖一国師は、博多に帰国しました。
そして、博多の承天寺と、京都の東福寺も開山したのです。
承天寺では、国師の命日に、今も饅頭と羊羹とうどんを供えます。
また、東福寺には、小麦粉をひいた水車の遺構が残っています。

さて、聖一国師は、博多で世話になった茶店の主人、栗波吉右衛門に、酒麹で種をふくらませる饅頭の作り方を教えました。
屋号が虎屋だったので、虎屋饅頭とも呼ばれたそうです。
その虎屋のお饅頭所という看板が、まわりまわって、現在の有名な和菓子屋、虎屋が所有するようになったのです。
2つの虎屋の間には、関係はないそうです。
さて、博多の酒饅頭は、酒の麹を、小麦粉を膨らす薬として使っています。
こういう、ふくらし粉を使った饅頭を、薬饅頭と総称します。

林浄因の薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)

それから約一世紀後の1349年、徳見という臨済宗の僧呂がおりました。
この徳見が、宋から連れ帰った林浄因が、伝えたのが、薯蕷饅頭です。
浄因は、当時の文化人だったそうです。
浄因は、奈良の漢国神社(かんごうじんじゃ)の前に、塩瀬という店を開きました。
塩瀬の饅頭は、店売りする菓子ではありません。
神社や寺の行事や、茶会などのために、注文を受けて作る高級菓子です。
この林の子孫が続けている、塩瀬総本家が、あの有名な薯蕷饅頭の元祖なのです。
江戸時代には、江戸(現在の東京)にも、進出しました。
なお、林浄因は、漢国神社の境内の、林神社に祀られています。
その後、日本の菓祖神である田島守(たじまのもり)を合祀して、饅頭と菓子の祖神として、菓子業界関係者の信仰を集めているとのこと。
また、この林家からは、民間印刷の原点となる、『饅頭屋節用集』という本を出した学者も出ました。
そのほか、塩瀬家は、茶の湯で使う紫袱紗(むらさきふくさ)の創始者として、17世紀以降、有名です。

ただし、塩瀬饅頭以前にも、道元の『正法眼蔵』(1241年)の中に、饅頭の食し方や、ふかしなおして食べることなども記述されているので、薯蕷饅頭だけが、当時の日本で、饅頭と認識されていたわけではなさそうです。

さて、林は、山芋をすったものを小麦粉に混ぜて、蒸したときにふくらむようにしました。
このように、山芋やヤマトイモ・伊勢薯などを使ってふくらます饅頭を、薯蕷饅頭と総称します。
では、薯蕷饅頭はどのように作られるのでしょうか。
その概要を見てまいりましょう。
本高砂屋のホームページに掲載されたものを参考にしています。

薯蕷饅頭の作り方

・卸金や、すり鉢で、山芋をおろす。
・おろした山芋に、ふるっておいた白砂糖を3回に分けて、混ぜる。
 (薯を完全につぶすことと、空気をふくませるのがポイント)
※つかう粉は、上用粉です。上用粉とは、うるち米を水洗いして軽く乾かしてからひいた米粉の中でも、とくにきめの細かい高級品のことをいいます。
・上用粉に、先ほどの薯を入れ、手でたたみこむように混ぜる。
・生地の倍量のこし餡を生地で包み、蒸し上げる。
・饅頭の底が、皿などにつかないよう、さっと焼く。

このように、酒饅頭と薯蕷饅頭の一番の違いは、粉の種類です。
酒饅頭は小麦粉で作りますから。
それに対して、薯蕷饅頭は、米粉である上用粉で作るのです。

茶道の饅頭

さて、現代でも、薯蕷饅頭は、お茶席を中心に、高級な和菓子として食されています。
現代の薯蕷饅頭について、見てまいりましょう。

表千家の初釜菓子

お正月の高級和菓子としては、花びら餅が有名ですね。
ところが、初釜(正月最初のお茶の稽古始めの茶会)で花びら餅を使うのは、裏千家の専売特許です。
ごぞんじでしたか。
実は、明治になって、裏千家のお家元が、朝廷から有職菓子(ゆうそくがし)の花びら餅を使う許可をいただいたのです。
ですから、千利休の子孫の、宗旦の子供たちが開いたお茶の三千家の中でも、お初釜に花びら餅を使うのは、裏千家だけなのです。
三千家とは、表千家、裏千家、武者小路千家ですね。

では、それぞれの千家は、お初釜には何をつかうのでしょうか。
裏千家が、『花びら餅』。
武者小路千家は、『都の春』という、練り切りのお菓子。

そして、表千家が、『常盤饅頭(ときわまんじゅう)』という特別の薯蕷饅頭です。
餡は、白小豆をみどりに染めたものです。
お饅頭を半分に割ると、白い皮から松の緑が、まるく見えるのです。
松は千年といいますから、お饅頭を割って緑の餡が見えると、ほんとうにめでたい気持ちになります。

最後に、お茶席でのお饅頭のいただき方を見ておきましょう。
実は、大変、簡単です。
でも、正式な方法を知っておくと、どこへ行っても安心ですね。

お茶席でのお饅頭のいただき方

・懐紙(かいし)を、輪のほうを手前にして、二つ折りにして自分の前に置く。
・菓子器を手前にとって、つけてある大きな箸で、饅頭をはさみ、懐紙に取る。
・箸を懐紙の左下でぬぐって戻し、菓子器を隣の客に回す。
・饅頭を半分に割り、懐紙に乗せる。
・左手で、懐紙と上に乗せた残りの半分のまんじゅうを持ち、右手で饅頭を食べる。
・左手は、右手の下に添えるようにする。
・残りの半分を食べる。
 ※お菓子を残す場合は、そのまま、懐紙で包んで持ち帰ること。

饅頭は、手でいただいてよいお菓子です。
たいていは、隣の先客の作法を見習えばよいのです。
原則として、手で食べないお菓子には、小さな黒文字(お菓子用の小さなナイフのような楊枝)がついてきます。
ついていなければ、手で食べてよいお菓子です。

この際ですので、黒文字がついていた場合の食べ方も、ご紹介します。

各人用の黒文字がついていたり、手で食べると汚らしい印象のお菓子の場合。

・懐紙に取った菓子を、懐紙ごと左手にとり、体の前に持ち上げる。
・右手の黒文字で、菓子の右斜め上から切り取り、黒文字に刺して口に運ぶ。
・その際に、お菓子をこぼさぬように、左手を軽く右手に添えるつもりで。

まんじゅうと現代生活

さて、今回は、和菓子の饅頭の歴史と、その食べ方をご紹介いたしました。
日本人にとって、饅頭は身近な和菓子です。
けれども、薯蕷饅頭などは、上菓子と呼ばれる、大変に格の高いお菓子なのですね。
しかし、今では、日本三大饅頭というものを選び、もっとたくさんの人に、親しんでもらえるような工夫もしています。
ケーキなどは、ひとつ数百円もします。
ところが、上等のお饅頭ならば、同じ値段で、2~3個買えてしまいます。
ぜひ、この機会に、日本の美味しいお饅頭を召し上がってみてください。
お取り寄せもありますよ。
日本三大饅頭とは、福島県・柏屋の薄皮饅頭、東京・塩瀬総本家の志ほせ饅頭、岡山県・大手饅頭伊部屋の大手まんぢゅうです。

もちろん、コンビニや、スーパーマーケットのお饅頭も、おいしいですね。
高級な和菓子と、日常の和菓子が、同じ名前で広く併存しているところ。
そういうところが、日本の和菓子文化の特徴かもしれません。