「和菓子の日」の由来は全国和菓子協会から

毎年6月16日は、全国和菓子協会が制定した「和菓子の日」になります。しかし残念ながら、「和菓子の日」の知名度はまだまだ低いようです。「和菓子の日」を制定した全国和菓子協会は、和菓子業界の発展向上を図るために、昭和25年に設立された団体です。和菓子の広報活動や講演会、セミナーやシンポジウムなどを開催している他、手作り和菓子教室を開いて広く和菓子の普及に務めています。全国和菓子協会が設立された約10年後には、「和菓子マーク」が制定されました。この「和菓子マーク」は、公募によって多数の応募作品の中から選ばれました。お饅頭を半分に割って、逆向きにくっつけたような面白いマークで、餅つきの臼のようにも見えます。「和菓子マーク」は昭和48年に「日本を代表するマーク百選」にも選ばれています。

元来の「和菓子の日」の由来

平安時代の中期、国内では疫病が流行しました。疫病とは集団発生する伝染病のことで、当時の古い書物から、天然痘や赤痢、麻疹、冬季には咳逆(しはぶき)というウイルス性疾患が流行し、多くの人が命を落としていたと言います。そこで、仁明天皇が年号を「承和」から「嘉祥」に改めて、元年の6月16日に疾病よけと健康招福を祈りました。その際16個の菓子や餅を供えたことから、「嘉祥菓子」の慣習ができました。その後もこの吉例は続けられ、豊臣秀吉も「嘉祥の祝」として恒例にしていたそうです。民間でも16個の和菓子を買い求めていたと言います。当時の通貨「嘉祥通宝」16枚で和菓子を買って、福を願いました。また、「嘉祥縫」といって、6月16日の夜に16歳の袖止めも行われていました。さらに「嘉祥の梅」といって、6月16日に採った梅を食べると難を逃れるというものもありました。「嘉祥の祝」は明治くらいまで続いていましたが、その後廃れてしまいました。そこで、「嘉祥の祝」を現代に復活すべく、昭和54年に全国和菓子協会が6月16日を「和菓子の日」に制定しました。因みに「和菓子の日」以外にも、「どら焼きの日」や「栗きんとんの日」など、他にも和菓子にちなんだ日が定められています。まだまだ知らない和菓子に関する日がありそうです。

「和菓子の日」の由来にちなんだイベントや限定和菓子

毎年「和菓子の日」にちなんで、全国和菓子協会では和菓子教室を開催しています。また、各和菓子店でも、「和菓子の日」限定菓子の販売や、イベントを開催している和菓子店もあります。老舗和菓子店の『虎屋』では、毎年嘉祥菓子を販売しています。幕末頃に御所へ納めていた7種類の嘉祥菓子と、嘉祥饅頭や嘉祥蒸羊羹を販売しています。『虎屋』には和菓子に関する古書が残っており、江戸時代末期に宮中に献上していた和菓子を基に、嘉祥菓子を作っています。江戸時代にタイムスリップした和菓子が食べられるのは、何とも興味深いですね。逆を返せば、和菓子には長い歴史があって、現代も変わらず受け継がれているということでしょう。7種の嘉祥菓子は、武蔵野、桔梗餅、浅路飴、源氏ませ、伊賀餅、豊岡の里、味噌松風という菓子銘がついています。1年に1回、特別な和菓子が食べられる「和菓子の日」に、是非とも古き時代を感じながら食したいものです。