江戸時代後期の和菓子は、餅菓子や団子などが庶民に親しまれるようなり、現代へと続いていきます。

江戸時代後期の和菓子

紀州田辺藩の医師が書いた幕末江戸における勤番侍の生活マニュアルである「江戸自慢」では、江戸の饅頭は不味く、菓子は京に限るなどと辛辣なことを書いていますが、その一方で「餅菓子類は、上等なものでなくとも、大変に美味しく、おてつ牡丹餅、永代団子、今坂餅などは姿も奇麗で風流」と評しています。江戸の菓子は安価で庶民的な餅菓子やだんごが特に美味しく、姿も奇麗だと褒めているのですが、庶民に親しまれる気取らない味が江戸の菓子の特徴だったのでしょう。
では、江戸の庶民に親しまれた菓子にはどのようなものがあったのかというと、米粉を原材料に米粒形に作った米饅頭などは、浅草の待乳山聖天門前で売り出され、江戸を代表する名物になりました。両国には焼いた餅に餡をのせた幾世餅があり、大変な人気がありました。浅草も両国も江戸で一二を争う繁華街で、多くの飲食店が立ち並び大勢の人で賑わっていました。有名な桜の名所である向島辺りの隅田川堤で生まれたのが桜餅で、現在も続く江戸の名菓です。江戸を代表する名物菓子は江戸で生活する人々の憩いの場である盛り場や名所で生まれています。そのほかにも庶民に愛され、現在にも続く菓子に大福餅や金つばなどがあります。

現代に受け継がれる行事と和菓子

先述した嘉祥は菓子が主役の年中行事ですが、他にも行事に重要な役割を果たす菓子があります。3月3日の雛祭りには、草餅や雛あられなどを食べ、菱餅を飾ります。現在は赤と白と緑の三色ですが、江戸時代は草餅の緑と餅の白の二色でした。また、関西ではあこや餅が食べられます。あこやとは別名を引千切といい、文字通り餅の先端が引きちぎられた生菓子です。これは子だくさんを意味しており、子どもの成育と幸福を願う思いが込められたお菓子です。形が真珠(阿古屋玉)に似ていることから「あこや餅」の別名があります。5月5日は端午の節句で、柏餅は江戸を中心に家の永続を願って作られました。柏の葉は特別な葉で、新芽が出てから古い葉が落ちる特徴があります。この特徴より「家系が絶えない」「子孫繁栄」という考えに結びついて、縁起をかついで広まったといわれています。関西では粽が中心です。その他にも仲秋の名月には月見団子を供えます。仲秋の名月は別名「芋名月」といい、秋に収穫される里芋をお供えしたということで、お月見団子はその里芋の形を模しているといわれます。旧暦の10月の最初の亥の日には亥の子餅が供されます。亥の子餅とは餅の表面に焼きごてを使い、猪やその幼体に似せた色模様を付けたもの、あるいは紅白の餅だったりと、決まった作り方はなく、地域によって様々です。古くは、亥の子餅を田の神様に供え、その後、家族で食べることで無病息災や子孫繁栄を祈ります。11月のはじめの七五三には千歳飴がつきものです。千歳飴は、紅白に彩られた縁起の良いお菓子で、“長く伸びる”という、親が子を想う長寿の願いが込められています。もともとは、江戸時代の1700年頃、浅草の飴売り「七兵衛」が売り出したのが発祥とされ、関東圏では水飴に少量の砂糖を加えて煮詰め、熱いうちに何層にも織り込んで作る晒飴(さらしあめ)が多いですが、地方や店によって材料や作り方が異なります。千歳飴の袋には長寿を意味する鶴亀や縁起の良い松竹梅などの図柄が描かれています。
和菓子はまさしく季節を味わうものだといえるでしょう。