日本の文化の一つでもある和菓子は、一体何時から人々に食べられていたのでしょう。その伝統はどこから生まれて、どのように引き継がれていったのでしょうか。この記事では、和菓子の歴史についてをご説明いたします。

甘いものは食事ではないという考え

和菓子のルーツとなったものは、紀元前のまだ米が無かった時代から始まりました。
人々は狩りをしながら生きていた時、果物や木の実を食べることがありましたが、これは食事ではなく今でいうお菓子だったのです。
甘味料としてアマヅラというものが使われ出したのはこれよりもう少し先の大和時代あたりです。それから穀物を加工する技術が発達して餅や団子が作られるようになりました。
そして、609年の遣隋使による中国大陸から伝わってきた唐菓子というものが当時の日本に激震を与えました。その時代はまだこのような和菓子は国のお偉いさんしか食べることができませんでした。
今では手軽につまめることが出来る、煎餅が作られるようになったのは806年の平安時代に突入してからで、空海が唐から煎餅の製法を伝えたのが始まりでした。
茶道が盛んになり、今のようなわらびもちや葛もち、ちまきなどの餅菓子が盛んに食べられるようになったのは室町時代に入ってからの事です。
室町時代の終わりには南蛮菓子と呼ばれるカステラや金平糖、パンなどが大変人気のあるお菓子として食べられていました。
そして江戸時代になってからは寒天が作られたり、カステラが日本・長崎でも製造されることになったりと日本はどの時代でもお菓子の研究で大忙しでした。
今でも新しいものが絶えず作り続けられて、今までに加えて技術の発達もありこれからは一体どんなお菓子が生まれてくるのか想像もできません。

和菓子一つ一つのルーツ

和菓子にはそのお菓子の作られた経緯があり、それがまた昔の人の風情がこもっており、時代は違えど同じ日本人として素晴らしい感性を持っていたんだと思わせてくれるような話ばかりです。
柏餅や桜餅などにもまつわるお話があるのですが、今回は「みたらし団子」のルーツをご紹介させていただきます。
これには、京都にある下鴨神社から来ており、糺の森という場所の中にある井上の社の前に池があり、こちらの池がみたらし池という名がつけられていました。この池から水の泡が3つ、4つと湧き出るように浮かび上がり、この泡を象ってつくられたのが今のみたらし団子という物になります。
そう呼ばれ出したのは平安時代からで、みたらし団子は実に長い歴史を持つ和菓子なのです。今でも下鴨神社の門前に甘味処があり、そこで昔ならではのみたらし団子を頂くことができます。
こちらのみたらし団子は5つの白玉で作られており、そのうちの1つは4つと離れているという不思議な見た目なのですが、これは人体を意味していると言われて、昔は神前に供えて食べていたことに由来します。

さいごに

和菓子そのもののルーツとみたらし団子の小話についてご紹介いたしました。和菓子を食べる時にはこんなことがあったのかと思いだしていただければより美味しくいただけるかもしれません
他の和菓子にも作られた経緯が記録として残っているものも多くありますので、気になった方は是非調べてみてください。